内部空間性と外部空間性





















教会の内部空間には特別な力を持っている場所がある 
そこは鎮める場のような 
場所として機能している 
こんな生活に根づいた空間が日本にあるかしら 
寺とか神社とかはだいたい閉ざされている印象があった 
建物のなかに迎いいれる教会というシステム 

でも日本に帰ってきてから神社仏閣を見るようになって 
わりとでっかい寺は檀家さんとかを内部に迎い入れていることを知った 
ちいさい神社とか寺は鍵が閉まってるが 
でもこのごろ春の陽射しと風に運ばれて木々の緑のほうへふらふらと 
向かっていくと寺と神社があって良く見るようになった 
そうすると寺とか神社のなかには木々を含めた自然空間を取り入れたかたちで特別な空間、
何かが流れる場を作っているところがあるのに気づく 
そういえば教会のまわりには木々があった印象はない 
あったとしてもあくまで教会という建物が主であり木々は従属されていた気がする 
日本の場合はとくに神社においては自然を引き入れ 
巨木、古木があってその地形、空間がもともと力をもっていたので 
そこに社を建てたというような印象がある 

木々と社という木の変体によって作られる 
空間というのはすばらしいなと 
自然をねじ伏せる文化と 
自然と共存する文化の違いということなのだろうか 

アマテラスとか日本神話に興味がある 
右翼はまいるけど神社において立ち上がる霊的な力 
自然のもっている力を感じると 
そこと繋がっているであろう神道ってやつには 
興味が引かれていく 



そういえば教会は中庭という内部に自然空間をかなりコントロールされたかたちで取り込んでいる 
寺も庭というシステムを外側にもっていてこれもけっこうコントロールされたかたちだ 
神社というのは木生えっぱなし 
のばしっぱなしって感じがする