ゴッホ「オーヴェ−ルの教会」について





















ゴッホの教会の絵は恐ろしい絵だ。

パリのオルセー美術館の明るい展示室の中、多くの鑑賞者たちに囲まれ、その絵と出会ったときのひときわ
重く強い存在感に圧倒された。

それはまるで夜が燃えているようだった。

道に落ちる日差しは昼の暖かな日差しなのに、空は燃えるような夜空だった。きっとゴッホの視線、その意
識の瞼が半分下ろされてしまったような、夜が注水してしまったような視野の中、真昼の教会は立ち昇る夜
に捕らえられてしまったのだろう。

そこを歩み去る婦人の姿は停止されたまま、昼の中に閉じ込められてしまっているようだ。空はらんらんと
燃えている。そして窓はその教会の中までも夜の洪水に溢れてしまっているように青々としている。

教会というのは意味深いモチーフ、対象としての場だ。ゴッホは画家になる前、聖職者になろうとしていた
が、その人々への過剰なまでの献身ゆえに教会から拒まれた経験をもっている。ゴッホの燃えるような情熱
は画商や聖職者という彼が求めた職業にはおさまりきらなかった。最終的に絵を描くことしか彼には残され
ていなかった。そして彼が新たに求めた絵描きの理想郷ともいうべきゴーギャンとの共同生活にも敗れ去っ
た時、その情熱は正気という分水量をもこえてしまった。そして再びゴッホは自分を拒んだ教会という場
に、描くという行為とともに立ち尽くしていた。そのとき彼の中に蓄えられた、拒まれ傷つきつづけた彼の
暗い情熱が一気に燃え上がった。彼の情熱は一時は彼の情熱の入れ物になるかと思われ想いを託した教会と
いう場所にそそがれる。その瞬間、真昼の教会は夜へと燃え上がった。彼の魂のはためきのようなものとと
もにオーヴェールの教会は一枚の絵画というかたちに焼成され焼き付けられたのだ。この絵は暗い夜の魂と
ともに燃えている。

それを見つめる私はその瞬間の戦慄とともに受け取られた夜に、自分自身が染め付けられてしまったような
感覚に包まれたまま、その離れがたい絵画という場所を後にした。