夜湖 夜は生きている




酷いもんだ




「濡れ犬、泣き犬、眼」


 
喉に風が当たる
眼に赤いものが刺さっているけれど












夏みかんほどある


10円活動家




後妻の
眼窩の赤い影
脈絡なくねめつけられる悲哀の表情を
湛え


濡れ犬、泣き犬、眼
入れ歯、噛む歯は ニッキ
尻だして
指紋の擦り切れた優しい節くれた指でさする
子犬の弱りきった身体
白い眉毛
白い髭
白髪

下腹部に
溜まった無悲が
はちきれんばかりに膨らみ
よろよろとバランスを崩す






「夏卵、カラン [kraan]、からん」



からんからん頭が鳴るんだろう

夏卵、夏卵


カラン [kraan]    

蛇口をひねると水道管の奥で
金具と流水のかなでる耳鳴りのような
凍えた響きが

どこかとおい水道局の銀のパイプを
だれかがずっと叩き続けている



からん 禍乱 

眼に

戦後の焼け跡をはしりぬけた荷車を
すべての焼け跡を詰めて
ひたはしった姿を焼き付けたまま

あたまのなかはほとんど
カラになって
瞳は抜け殻の黒い穴
枯れ井戸の暗闇
に湧くのは
乞い願うだけの悲しみ
震える口が吐くのは
風景になってしまった一人漫談

からんからんと
乾いて縮んだ脳が記憶の底で鳴っている










「夜湖」



外にでると薄雲の帯から少しだけ星
家の前まで来ると
月が
雪がまっしろにやわらかく地面を被って
枝の上に白い筋をのせた木々の真ん中に浮かぶ
朧の月はしっかりと冷えて
瞳に溶けていった

家を出てすぐの湖がひらけた景色は
なんでこんなにうつくしいのか
景色自体が凍りついて
山も湖も夜気も
どこまでも深く私を抱いてくれるような深い懐を持ち
内滲む風景の色音に満ちている

良いところですよ
ほんと









夜は広い










「夜は生きている」


星がね
またたいているんだ
すごくたくさん

月はななめにまっぷたつに切られ
とろりと卵のとうめい膜を溢れさせていた

まるで夜空は星の呼吸と
その何万光年離れた遠いしゃべり声のにぎやかさに満ちて

星は生きているんだ
夜はたしかに生きている
と雪を抱いた山がぼやんとした湿気(しっき)
夜に抱かれた赤子の匂い立つケハイを纏って
横たわっている上では
震えるように尖った光跡が
忍び足をたてて
のぞきみた
夜のカーニバルみたいに
かがやいていた