巨船
























なんだか
ああ人に

おびえてしまう
真新しいテクノロジックな巨大構造物の
殺菌的な弾圧力に踏み砕かれてぺしゃんこになってしまったような

人の多さとそれに合わせて広がる構造物の空間規模に
否応なく人の卑小さを捺印させられる

だからそこではひとは群れ
自治会運動し、演劇の小屋に住み
ひとりで行われる行為は育たないようだ
つながりのみが存在の証で

アトリエで作品をつくっていれば自分の場所ができるような
めぐまれた場所ではない
それははじかれもののコミュニティーなのだ
少数派からなる少人数の希求する空間性はひとりであることの
可能性を許す
ひとりがかかえられる建築空間だ
それは特権的ですらあるかもしれない

しかし日本の資本主義社会の縮図模型のような養成施設のなかでは
その強大な都市の匿名性の暴力に
とりこまれ
自分もその一部にされてしまう

なんとか立ち向かおうと
思い抱くが
震える弱者のように違和感にのまれてしまう
ただ僕がそこにつながっていないだけで
慣れによってそこは明るいキャンパスになるのか
わからないけれど
僕は恐ろしいと
14と書かれた建物に飲み込まれて
201のプレートを見ながら思った

そして銀杏の並木の下
聖書を読みに教会に来ませんかという
シスター修行の二人連れに
呼び止められ
きっと救いを必要な目をして歩いてたんだろうな
ずっと話をしていた

もう疲れた
疲れた
疲れた
眠ろう
風邪だから
こんなことで
疲れてしまうんだ
もう疲れてしまった