存在の灯りを描く行為



















ねえ
僕は
そこにある
緑の茎のもっている光
内淡く光る緑の色を
どうしようもなく美しいと思い
それとつながってしまう

それは透き通った色で
瞳の中が
それとも僕自身の中が
すっぽりとそのなかに
捕われてしまったように

しなやかな新鮮な色をしている
それは生きている色だ
その色を描かずして何を描くのだろう
だけどその内側に灯った色を
表面という問題で
描けるわけがない
それは世界に灯った神秘の灯り
その場所にあるということの灯りなのだ

僕は目に映るものがあまりに美しくて
それを描くことができない

僕にとってはどんな絵画よりも
目に映るものが美しすぎて
そうやって絵に向き合うことができない
筆、キャンバス、絵の具
というものに絶望してしまう
とてもそれでは追いつけない

言葉はまったく違うものだから
それを追うことができる

でも絵と眼に見えるものは似すぎている
だから僕は描くことができない

この光の色を絵の中に灯すには
どうしたらいいのだろうか

ぼくはそこから離れて逃げている

そのためには
最初の一筆から
全部奇跡みたいじゃないと
そこにはたどりつけない

いや
それを灯すことができるか
やってみるべきなのかもしれない

その果てのない
試みも今のスピード感とは別に
始める時なのかも知れない
とてもできるかわからないし
どのくらいかかるかわからない試み

存在の灯りを描く行為
絵の記憶

見えているものに追いつけないということが
絵と言うものの完成ならば

そうかそれが僕の中身の終わりを示すのか

描くという行為が見るという行為を
遠く遠く運んでいく時間の流れ

やわらかな植物の産毛に触れた瞬間のような
あたたかな緑の灯りは
僕のなかに灯る

絵のなかにも灯るかしら

それは世界を捕らえるのではなく
自分自身をそちらに運んでやる行為なのではないか
描くこと



コンクリ−トで覆われた貯水タンクの中の
動かない水
みたいな深さ