アウシュビッツ強制収容所についてなど

 
 
 

僕は小学校のころひどく周りの人たちとうまくやっていくことができなくて
苦しくてかなしくて、ひどくいやらしいそいつらを殺してやろうかと思ったりして
振り返ると耳のなかに蟻が住んでいて、耳に指をいれると指に蟻がついてきたという
記憶があって、
眉毛をほとんどぬいちゃったりして、
ほんとひどく苦しかったけど、誰も助けてくれなかった

だから僕は痛みみたいなのを知っていて、その時の自分を救ってやりたいのかもしれ
ない
世界には本当に美しくすばらしいことがあるけど、同時に本当に恐ろしく残酷なこと
もあるのを知っていて、
今この瞬間にもそれはたぶん起こっていて、
それは自分では意識できない自分の中をかけぬけていっているような感じで、

あまりにも多い人間のつくりだす世界はナマものみたいで、どうしようもないけれど、
汚職やら侵略戦争、殺人、レイプやら、もっと日常の中にある澱みみたいなのとか
世界がこれでいいなんて全然思えないよ、
それは僕が体験しているものではなく、
マスメディアにのってやってくる情報だけれども、

ポーランドのアウシュビッツ強制収容所の跡地の博物館に行った時見たガラスケース
の部屋一杯の人間の髪の毛、人の髪でつくられたソファ、囚人の私物の山、めがねの
山、収容所のトイレ、
それらの もの の持つ記憶が、
そのちから が人間の持っている負の部分が
それらの種は僕の中にもきみの中にもある
僕は誰のなかにも神様もいれば悪魔もいれば天使も殺人者も聖人もなんだって居て、
それが生きてきた経験によってどれが大きな顔してるかにすぎないと思っている
だから世界とたたかわなくてはならない
どうしたって世界を変えていかなくちゃならない
それはでも自分のできるところから、やるしかない
僕にとってつくることは
世界を受け入れることではなく、
世界を変えることだ、
自分も世界の一部だし、自分のつくったものも世界の一部だから
でも本当に変えていくには力が必要だ、
それは権力でも財力でも武力でも、
でも僕が選んだのはアートだった
僕はそれに一番助けられたし、一番強く動かされたからだ
だから僕は自分のもっている本当な確かなものをもって
生きていく
もっとも僕にできることは目の前にあるものと向き合っていくことだけだ
それによってどこまで行けるかわからないけれど
世界を変えるにはどうやったらいいかなんてことわからないけれど
やらなくちゃならないことはわかっている
だってこれでいいなんて思えないでしょ
だからつながっていくんだ
広すぎる世界で一人の力は弱いでもひとりひとりからしか始まらない

それに世界にはこれで終わりっていうのはない
ハッピーエンドみたいな
終わりは死だけだし
だからずっと続いていく世界と向き合いたたかい続けるしかない
いままでずっと人間は生きてきて多くのものをつくりだした、
制度とかシステムとか
でも人間自体は変わっているとは思えない
戦争はくり返すし、すばらしものはつくるし
それはもう人間自体がもっている闇の部分と光の部分の総体として人間の世界がある
からで、
でもだからって、あきらめるわけにはいかないし
そうやっていくしかない

単純に退屈だし生きて行く中でたまっていくものを外に出さないと生きていけない
からつくっているだけで、
こんなこと日常的に考えてつくっているわけではなく
でも無意識的にそれは僕の中をながれているものだと思う